留学までの道のり IELTS編⑦ ライティング前編




スピーキングに続いて私の前に立ちはだかったのはライティングでした。


やはり英語のアウトプット能力が乏しかったため、ライティングには本当に苦労しました。会話であれば相手がいるために内容はお互いに補完しあうことが可能ですがライティングではそうはいきません。自分で全ての文章を考え、構成しなければなりません。


初めてIELTSを受験した時になぜか6.0をスコアできたのが災いし、その後連続3回に渡って大学からの要求スコアに届かなかったのは非常に苦い思い出です…。


現在はオタゴ大学マスターコースに所属しているためアサインメント(宿題)などで数千語程度の英語の文章を作成するために比較的慣れてきました。課題の評価はまあまあと言ったところです。


ではなぜ過去の私はそんなにライティングが苦手だったのでしょうか?


よく言われることですが、日本語と英語ではそもそも文章の書き方が全く違う!
これに尽きると思います。


英文作成の参考書を手にとって見るとおよそ全てにそう書いてあると思います。
日本で生まれ育った私には当たり前のことだったのですが、英語圏(他の言語圏でも)では文章を作成する目的が我々とは異なるのですね。


どういうことかと言うと、彼らは相手を説得 (納得)させるために論理的に文章を組み立てるということ。


海外に住んでみてよく思うのが、空気を読むというのは日本人の特殊能力で、彼らは会話や文章によって一言一句全て正確に伝えなければ納得してくれません。
我々日本人が慣れていないのはこの点ではないでしょうか。私たち日本人は一を聞いて十を知るというのを美徳としすぎているのではないでしょうか。


歴史的、地政学的成り立ちから見ても日本という国は世界的にはかなり特殊で、言葉にしなくてもお互いの意思疎通が可能なことがあります。以心伝心ですね。会話だけではなく文章でも同様です。


それはとどのつまり、日本人のコミュニケーションというのは


「予定調和に向けた会話、文章のやりとり」


が通常だからではないでしょうか。
我々日本人同士では当たり前のことなので意識していないのですが、日本人同士の会話には曖昧なやりとりが非常に多いのにもかかわらず常に最終的な会話の終着点が決まっているように思います。つまり会話が始まってしばらくすると相手の意図と発言を予測し、ゴールが見えてくる。お互いがそこに向かってテンプレート的な台詞を交換するといったイメージです。察しと思いやりが基本となった考え方であり、そこに他者を攻撃する意図はないのです。

宗教的、道徳的観念の影響もあるのでしょうが我々日本人には共通する道徳観みたいなものがあり、そこから逸脱し相手を攻撃することは避けて、和を似って貴しとなすの考え方の通り場の雰囲気が崩れることを嫌う傾向にあると思います。非常に漠然としていますがそれが私が思う日本人のコミュニケーションの特徴だと思います。


ある人はそれを文化的熟成度が高いと言いますし、全体主義であるとも言えるでしょう。または他者を過度に尊重するために相手の意見に反対せず我慢することもあるでしょう。まさしく空気を読むですね。また年長者に意見する機会がほぼないのも影響していると思います。年齢が自分より若い、もしくは芸歴や職歴が自分より短い相手としか建設的なコミュニケーションが取れないとなると日本人が議論が不得手となるのも仕方ないですね。


例として、誰かに何かを伝えたい時日本で通用するフレーズの1つに


〜が言っていた。先輩が言っていた。社長が言っていた。みんながそう言っていた。〜が主流である。〜が最近人気。鶴の一声など
そんなの当たり前とか、常識でしょなども含まれると思います。
「月が綺麗ですね。」とか、
小中学校での国語の授業で習った、「行間を読む」というのもありますね。


これらの表現方法には全て 主体性 が欠けています。
世間一般(日本国内のみ)の社会通念もしくは自分以外の誰か、が主語になっていますのでオリジナルの意見ではありません。行間に至っては読み手の主観がかなり入ってしまい、書き手の意図とは異なる解釈をしてしまいます。

これを文章にしてしまうとIELTSライティングでは思うような点は取れないと思います。なぜなら、観点が曖昧だと相手(外国人)に訴求することができないからですね。
一体この文章は誰が誰に向けて書いているのだろう?
となってしまいます。



彼ら(欧米人)が用いる主語はほぼ I =「わたし」です。



私はこう思う。なぜなら〜…。
この文章構成は全ては相手を納得させるため、いかに自分の考えが正当であるかを証明するためにあります。理由の一つとして、欧米人はとにかく議論が好きなように思います。批判されることを恐れてはいませんし、むしろより建設的な論理を生み出すことができると考えられているようです。キウィ(ニュージーランドの人)は島国であるためか比較的穏やかなキャラクターの人が多いように思いますが、それでも自分の意見は皆はっきりと言いますし、批判されても論理的に相手を納得させようと努力します。そして他者の意見が自分と違うのが普通でその点を尊重しています。


我々日本人のように主語を省き、観念上の道徳に則っても意味をなすのとは異なり、英語では(ライティングも)全ての単語が必要であり、全ての文が前後の内容を補い、意味付けしあっています。意味が通じないと、スピーキングでは眉をしかめて ‘What?' ‘Pardon?’ と言われますし、ライティングでは減点されます。何度も同じ内容を書いても余剰(redundant)であるとして減点されます。つまり英語では完成された文章の書き方は決まっており、日本人が使う日本語のように曖昧な比喩や抽象で意味が通じることは一切無いと言えると思います。それは彼らには空気を読む能力が無いからでは無いでしょうか。


そしてあまり一般的ではないかもしれませんが、ある程度日本語で読み書きができる方が陥りがちなのが何か面白い、斬新で、誰も考えつかないような文章を書いてやろうというような間違った方向の頑張りです。


私がまさにこのタイプなのでこの悪癖を封印するのに苦労しました(笑)


せっかく長い時間を使ってエッセイを書くのだからできるだけ面白くしたいというのが人情だと思います。がしかし相手はただの英語能力を判定するためだけに作られた試験。
文章が面白いかくだらないかなんて関係ありませんし採点の対象ではありません。
いかに論理的で、端的にオリジナルであると思われる意見(ありきたりの意見でもいかにも自分オリジナルの考えであるように装うことも多々)を制限字数以内で述べているか。これ以外のことに苦心して労力を割くのは時間がもったいない。小説家を目指しているのではありませんから。

と今なら言えます。 遅(゚o゚;;)!


特に文学部出の関西圏の方はご注意ください…。


これらの点を意識してライティングに取り組むとより構成力が上がるのではないでしょうか。


まとめると、


  1. 英語と日本語のライティングの根本的な違い
  2. 5W1H(特に誰が)を徹底
  3. 過不足ない文章構成

に加えて、

  4.誰が読んでも納得できる文章



を意識して対策すると良いかと思います。作成した文章は必ず読み直して意味が通じない文章はないか(日本語の英語訳になっていないか)、全体として論理的にまとまっているかを確認しましょう。採点するのは外国人です。日本人向けのエッセイを作っても意味がありません。


これまでは日本人と欧米人のコミュニケーション方法の違いとライティングのための心構えについて記しました。



次回は実践編。私が行ったライティング対策についておしらせします。



余談ですが…
最近は家電製品の誤った使用による事故防止のため説明書には注意書きが羅列してあったり、洗剤には大きく誤飲しないよう注意書きがしてあります。洗濯機に猫を入れないようにというのもありましたね。

昭和時代ではそのようなことはなかったように記憶していますが(おおらかな時代であったのは間違いないでしょう)、日本人同士でも空気が読めない人が増えてきているのかもしれません。クレーマーや行きすぎた衆人環視など日本人を取り囲む環境も大きく変わろうとしています。私は人と人が思いやりを持ってお互いを尊重しあえる社会の方が健全だと思いますし、そうあって欲しいです。空気を読むという特殊能力、無くしたくはないですね。



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